「風の丘 大野勝彦美術館」 大野勝彦さんにインタビュー

45歳にして両腕をなくし、義手を使って描く「詩」や「絵」で生きる勇気や喜びを表現し、多くの人々に感動を与えている作家がいる。熊本県出身の大野勝彦さんである。現在は熊本・阿蘇をはじめ、全国3か所にある「風の丘 大野勝彦美術館」の館長として、作品の制作や塾での指導などに情熱を注いでいる。今回は、大野さんが詩や絵を描き始めたきっかけや、作品に対する思い、人生の見つめ方、若者への期待など、さまざまな話を伺った。

「夢」と「自分」を信じる

――詩や絵を描き始めたきっかけについて教えてください。

私はもともと農家で、スポーツもやっていて、詩や絵を描くこととは無縁の世界で生きてきました。それが、45歳のとき、農作業の機械で両腕を切断したことから、人生が大きく変わりました。事故にあったときは、正直死んだのかなと思いました。

幸い、両腕をなくしただけで命は助かったのですが、それ以来、周りの世界が変わって見えるようになりました。見える人たちがまったく違うのです。それまでは自分が一番だと思っていましたが、そうではなかったことに気づかされました。

しかし、これまで「ありがとう」とか「ごめんなさい」と言ったことのない人間が、いきなり感謝の言葉を言えるはずがありません。言えないものだから、言葉として書くことにしたのです。それが、詩や絵を描くきっかけになりました。

――両腕を失ったことで、ご自身にどんな変化がありましたか?

それまでは人の世話をすることはあっても、人の世話になるとは思ってもいませんでした。ですから、お礼を言われるのが当たり前で、自分から「ありがとう」と言うこともなかったわけです。

しかし、両腕を切断して一人では何もできないという状況になり、それで「待てよ」と思いました。自分は一人で生きてきたわけではなく、昔からいろいろな人にお世話になったんだなと思えるようになったのです。

両腕を切断することで、私はようやくそのことに気づかせてもらいました。私はこれを「気づきの信号」と呼んでいます。

何もない人生はあり得ません。何か逆境にぶつかったときに、それをプラスに転換できるかどうかだと思います。私の場合は、とても大事なことを気づかせてくれたので、両腕を切断して本当によかったと思っています。

――美術館を作ろうと思ったきっかけは何ですか?

美術館の話は、母との親子の会話の中で「阿蘇に美術館を作る」と言ったのが始まりです。私が両腕を切断したことで母が一番落ち込んでいたので、その母を喜ばせたいと思ってそのような話をしました。

そうしたら、母がすごく元気になって、「いつ美術館ができるの?」と毎日聞いてくるものですから、それで本腰を入れて企画書を作って取り組み始めました。

しかし、個人で阿蘇に美術館を作るというのは、かなり無謀なチャレンジでした。阿蘇の原野は国立公園なので、自由に建物を建てることができません。また、美術館を作るには費用もかかりますし、きちんと作品を準備しなければなりません。普通に考えれば、美術館を作るということは無理な話でした。

ですが、私は「日本一の美術館を作りたい」という夢があったので、絵を描き続け、講演会に呼ばれればどこにでも行きました。日本全国はもちろん、海外にも行き、のべ4000回以上の講演を行ってきました。

そして、講演会の中で「美術館を作る」ということを絶えず語りました。そうやって自分自身にハッパをかけました。そして「10年後に美術館を作る」と決意して徹底してやった結果、本当に10年後に阿蘇に美術館を建設することができたのです。

たいていの人はどこか先入観があって、自分が持っている物差しで夢を考えていると思います。まず、夢を見る勇気がなくてはなりません。そこがスタートです。夢はかなうのです。かなわないというのは、思いが足りないだけなのです。「夢はかなう、思い強ければ」。それが私の信念です。できないのではありません。思いが足りないのです。

――今はどんな思いで作品を描いているのですか?

毎日楽しんで絵を描いています。いすに座ったら筆を握って、何もなくても勝手に筆を動かして、そして最後に思ったことを書くということをやっています。昔は感情をなるべくおさえて冷静に生きようとしてきましたが、今では感情をもっと出して、いろいろな思いをびんびん感じて、それを作品として描いています。

言葉と絵は、テクニックではできません。今、私は絵の描き方などを教える「やまびこ塾」という塾をやっていますが、時々塾生から「言葉が出ない」と言われることがあります。でも、それは言葉が出ないと思っているだけなのです。ですから、これはテクニックではなく「生き方」なんですね。自分の思いを燃やし、自分の生き方を表現する。それが作品だと思っています。

――大野さんにとって、「生きる」とはどのようなことですか?

少年のように目をきらきら輝かせながら生きたいですね。最近思うのは、青少年の目があまり輝いていないということです。私の美術館には大学生も来ますが、若い大学生が一番疲れているように見えます。「この若者なら何かやってくれるのではないか」と、そういう期待感を持たせてくれる人にぜひなってほしいものです。

人間には、目に見える部分と見えない部分があります。たとえ、外観上は少し欠けている部分があったとしても、人を喜ばせようとして生きている人は、何より人間らしい人なのではないでしょうか。

――これから未来を担う学生や若者に一言メッセージをお願いします。

いかに自分を信じていくかです。まず、人に迷惑をかけない夢であれば、大いに夢を見るべきだと思います。そして、それを自分が一番信じてやることです。

また、人に相談して、やめた方がいいと言われてやめるような夢であってはいけません。そういう相談だったら、しない方がいいです。

そして、本当にやろうと思ったら。一刻も早くそこに向かって動き始める。それを実現するためにどうやっていくかを全部自分で考え、寝てもさめても、そこに向かっていくことが大事です。

やはり、若い人にはぜひ、きらきらした素敵な顔をしてほしいと思っています。笑顔がいいですね。やる気満々、そんなあなたに逢いたいですね。

――どうもありがとうございました。


南阿蘇の大自然の中にある「風の丘 大野勝彦美術館」


大野さんの作品が描かれたポストカード

【財(たから)なキーワード】
「まず、夢を見る勇気を持たなくてはなりません。そこがスタートです。夢はかなうのです。かなわないというのは、思いが足りないだけなのです。『夢はかなう、思い強ければ』。それが私の信念です」

●プロフィール
【おおの・かつひこ】1944年、熊本県菊池郡菊陽町生まれ。89年、農作業中、機械により両腕を切断。入院3日目から「湧き出る生への思い」をこめて詩を書き始める。90年2月、熊本県立劇場で初の個展を開催。同7月、詩画集「両手への賛歌」を出版。第9回熊本現代詩新人賞をはじめ数々の賞を受賞。2003年、南阿蘇村に「風の丘 大野勝彦美術館」を開館。来場者数はのべ30万人を超える。

(熊本人財新聞 第21号に掲載)