「ちかけん」の竹あかり演出家 池田親生さん 三城賢士さんにインタビュー

熊本のみならず、いま全国で注目を集めている熊本の企業「ちかけん」がある。まつりなどのイベントでの竹あかりによる演出を行う会社としてスタート。いまや全国のまつりやイベント、演出などに呼ばれ、独自の「竹あかり」の作品を用いた演出で、多くの人たちを魅了し感化を与えている。昔から日本人の生活と深く結びついてきた「竹」に、新たな日本文化の灯(あかり)をともし続ける「ちかけん」創業者・竹あかり演出家の池田親生氏と三城賢士氏に話を伺った。(※以下、敬称略)


竹あかりを「日本の文化」に

――「ちかけん」の誕生の経緯について教えて下さい。

<池田>
私たちはもともと崇城大建築学科だったのですが、大学4年のときに「まちづくり」にかかわったことが、「ちかけん」という会社を立ち上げるきっかけになっています。 私たちが所属していた大学4年のときの研究室は少し特殊で、都市計画や建物を通して何か具体的なものをつくるというよりも、もっとソフトなもの、人と人とのつながりだったり、作品をつくることで、人と人とがいかにつながるかということに取り組む研究室でした。私たちはそれを「まつり型まちづくり」と呼んでいます。

その研究室で、パートナーである三城君と出会い、竹あかりに出会い、竹あかりの勉強をするために、ずっと先生が関わっている、日本で最初の竹あかりのまつりと言われている大分県臼杵市の「うすき竹宵」に関わりました。さらに、熊本市の「本妙寺桜灯篭(はなとうろう)」、山鹿市の「百花百彩」、佐賀県鹿島市の「かしま鍋島竹あかり」などの祭りに関わり、竹あかりを通してのまちづくりを経験しました。

そういう体験を通して、竹あかりをつくることだけでなく、いろんな人たちと関われることにも面白みを感じて、学生時代は机の上だけの勉強になりがちな中、学んだ知識を実践する場所に出会うことができました。  学校外の活動に先生に着いて行くことを楽しむことができたし、「社長ってかっこいいよね」という漠然とした憧れや、「絶対俺たちはできる」という、根拠のない自信みたいなものがありました(笑)。そうした「思い込み」を含めて、いろんな出会いが自分たちを社会に飛び出させてくれたのだと思います。

――「竹あかり演出のプロ」になっていく確信はどのように、またいつ頃から生まれましたか?

<三城>
「竹あかりのプロ」としてやれる確信はすでに大学生時代からありました(笑)。私たちが大学生のときに、先ほどの5つのまつりを経験して、一年の半分は竹あかりのまつりを行う現場にいるという生活を経験しました。

まつり自体も、規模の大小の違いがありましたし、まつりをやっている人たちも全然違うわけです。それゆえ、同じ竹あかりでも、やる目的がそれぞれのコミュニティーで違い、あるところは観光客を呼ぶことが中心のところもあれば、コミュニティーの繋がりを生むためにやっているところや、商店街の再生のためにやっているところもありました。  熊本市の祭りである「みずあかり」との比較になりますが、5つ祭りをやっていた中の4つは自分の住んでいる町に竹あかりを並べるもので、「自分たちの町のためにやる」というわかりやすいものでした。

一方、みずあかりの場合は少し違い、熊本城の下というのは、ほとんど人が住んでいないところです。そうした自分たちが住んでいる町でもない場所に、違うそれぞれの町で暮らす人たちが祭りの仕掛をつくるという、まちづくりの範囲や関わってくる人たちが格段に広がるものでした。  一つの町のまつりに関わっただけでは、今のような事業をやっていなかったと思います。最終的に「これは行ける」と思ったのは、やはり「みずあかり」での経験だと思います。熊本市以外の阿蘇や玉名などの地域の人たちもまつりに関わるなど、可能性の大きさを感じました。

――仕事の「喜び」や「達成感」を感じる瞬間はいつですか?

<池田>
私たちのやっていることは、まつり自体を見れば一見派手なようにも見えますが、実際の作業は竹の選定や切り出し、穴を開ける作業など、99%は地味な作業です。 まだがむしゃらにやっている段階ですが、まつりに来た人たちが竹あかりを見て喜んだり感動している反応に触れるときに、山登りの途中に見える景色のように、自分たちがやってきたことを実感できる瞬間があります。

<三城>
私の達成感は、まつりのときやそれをやり終えた後というよりも、私たちが演出した竹あかりを見て歌をつくってくれたりとか、「私も竹あかりを始めてみました」というように、実際に行動してくれる人が出てくると嬉しいですね。  もともと私たちは、「竹あかりを日本の文化にしたい」というところから出発しているので、単純に私たちのまねごとでもいいので、実際に自分で竹山に行って竹を切って穴を開けてつくりました、ということをやってくれるのでしたら、どんどん私たちのまねをしながら竹あかりを広げてほしいと思っています。

――「ちかけん」としてのこだわりや伝えたいメッセージを教えて下さい。

<三城>
私たちはいろんな町から「竹あかりをやりたい」と依頼を受けますが、本来は竹あかりをやりましょうではなくて、「まちづくり」をやりましょうということだと思うのです。 そして、まちづくりの基本は「自分の町は自分でつくる」ということだと思います。例えば、熊本のようなところでは身近に竹があるので、それで自分の町を飾るというのは自然な流れだと思います。しかし逆に、例えば北海道のような竹のないところで竹あかりをやることになり、しかもその竹は熊本から運ぶとなると、まちづくりという観点からすると違う気がします。

やはり、自分たちの町は自分たちで飾る。そしてその素材は身近なものでやる、という考え方が大事だと思っています。あまり私たちの会社の営業になっていないのですが(笑)。

<池田>
単に竹あかりがきれいということだけではなく、もっと根源的な問いかけとして「なぜ竹を切るのか」というのがメッセージだと思っています。 「荒れた竹やぶ」や「ゴミになった竹」を素材や財産として見ながら、竹あかりという作品にしていく。そして使い終わった後は堆肥にし肥料にして土に戻していく。そうした行程も「作品」だと思っています。

そういうメッセージを含んだ竹あかりが広がっていくことに価値を感じていますし、そうしたメッセージを持ったものが「日本の文化」になっていく必要があると思います。

――未来を担う学生や若い世代に一言お願いします。

<池田>
大切なのは、生きていく「やり方」以上に、生きていく上での「あり方」だと思います。ですので、「常識」というボーダーもはずしながら、挑戦していってほしいなと思います。 私たちもそういうことを上の世代の方々との出会いを通して教えてもらったので、これからも学生たちに関わっていきたいし、マチナカレッジなどを通してそういう場をつくっていきたいと思います。

<三城>
今までも「若さ」ゆえにやってくることができた面が大きいですし、これまでも「何でもやれる」という思い込みで乗り越えてきたところがあります。また、若さゆえに、上の世代の方々が心配して下さったりするので、甘えるところは年上に甘えるなど、バランス感覚も持ちながらしっかりと挑戦してほしいと思います。

――どうも有難うございました。

 

 

熊本暮らし人まつり「みずあかり」

 

 

 

熊本城近くの「城彩苑」に飾られた竹あかりによる巨大ツリー

【財(たから)なキーワード】
本来は「竹あかり」をやりましょうではなくて、「まちづくり」をやりましょうということだと思うのです。(三城)
単に竹あかりがきれいということだけではなく、もっと根源的な問いかけとして「なぜ竹を切るのか」というのがメッセージだと思っています。(池田)

 

・プロフィール
いけだ・ちかお】(=写真右)
1982年、福岡県筑後市生まれ。崇城大工学部建築学科卒。在学中は、内丸恵一研究室に所属し、「まつり型まちづくり」について学ぶ。2007年、三城氏とともに「合同会社ちかけん」を設立。その他、熊本の若者らに支持されている市民大学「マチナカレッジ」学長などを務める。
みしろ・けんし】(=写真左)
1982年、熊本県阿蘇市一の宮町生まれ。崇城大大学院工学研究科修了。内丸恵一研究室で学び、修士論文は「まつり型まちづくりの運営組織に関する研究」。2007年、池田氏とともに「合同会社ちかけん」を設立。まちづくり活動としての竹あかりの普及・啓発に力を入れる。

 

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