カンボジアの発展に貢献 谷川政敏さんにインタビュー

九州は、地理的にも東アジアや東南アジアの国々と近く、鎖国時代を含め、さまざまな交流を盛んに行っていた事実がある。中でも熊本は、加藤清正の時代、歴史的な評価はいろいろあるにせよ、陶磁器や朝鮮飴など、韓国の文化を取り入れたり、カンボジアなどの国々とも交流していた事実が発見されている。今回は、熊本とカンボジアの交流の歴史を明らかにした立役者であり、カンボジア王国政府観光省顧問などを務める谷川政敏氏にカンボジアと熊本について話を伺った。

 カンボジアの発展に貢献

――カンボジアと日本、そして熊本との関わりについて教えてください。

「かぼちゃ」の名前の由来は、実は「カンボジア」から来ています。そのように、実は日本とカンボジアは昔から関わりを持っていました。中でも熊本は、熊本の武将である「森本儀太夫(ぎだゆう)」の落書がカンボジアのアンコールワットで見つかるなど、歴史的にも最も古くからカンボジアと関わりを持って来たということで、注目を集めています。

私はカンボジアという国との歴史調査事業に関わり、その成果として、〇七年には調査結果を両国政府に発表し、熊本城築城四百年を記念してチャーター便を飛ばすことができました。そのことで、カンボジア政府からも大きく評価していただきました。

 

――そうした昔から、熊本がカンボジアと交易した背景は何でしょうか?

昔、熊本県の玉名に伊倉と言う港があり、当時は川から米を積み上げました。昔は余ったお米を京都に高く売っていました。すると、京都人は商売人ですから、いいお米が来る熊本に注目しました。「肥後藩の米を買わせてください」というのが最初のスタートです。そのように藩を越えた取り引きが行われるため、玉名には「豪商」がたくさんいました。そして、商売をするためには、いい人材をつくらないといけないため、学習塾ができてくるわけです。そのように、熊本には交易交流をするための人材が育つ土壌がありました。

また、加藤清正が干拓を行い、作物をつくる面積を広げました。そして、清正自身、交易を行う上で米より小麦を売るとお金になることを知っていたのです。そして、海外からは、黒糖や生糸を持ってきました。先ほども話したように、「かぼちゃ」もその時期にカンボジアから持ってきた野菜の一つです。

――カンボジアとの交易を裏づける「証拠」はありますか?

熊本市にある本妙寺から、カンボジアとの交易を裏づける資料が出てきたのです。具体的には、加藤清正がカンボジア王国との交易交流のため、メコン河を持つベトナム側に送った「交易許可」に対する返信文になります。そのため、外務省からも在カンボジア日本大使館の篠原大使が来熊され、県内報道機関などと一緒に本妙寺に出向き古文書を確認しました。

これまでの有力な研究者の説では、森本義太夫の末裔(まつえい)が京都にいることから、カンボジアとつながりがあったのは、京都だという発表も行われていました。しかし、どうにも腑に落ちず、熊本との交易を裏づける「証拠」を集めることに数年間努力しました。

本妙寺の歴史資料が正式に確認されてからは、外務省の公式的な見解も変わり始め、加藤清正の時代から熊本とカンボジアの交易があったという事実が、マスコミなどでも取り上げられるようになりました。

――現在、カンボジアで取り組んでいることを教えてください。

私はカンボジアのシャムリアップという町の「日本カンボジア友好センター」で、「平和ITCカンボジア」という名前の観光会社を運営しています。アンコールワットを見に行く観光客が、私が関わる以前は年間百七十万人だったのが、今や四百五十万人を越え、もうすぐ五百万人になろうとしています。

これは私の個人としての「夢」ですが、その五百万人目の人、つまりシャムリアップ空港に着いた時に花束を贈呈し、トン・コン観光大臣と写真に納まる人が、「日本人」であってほしいということです。

カンボジアへの一般的な日本人観光客は、アンコールワットは見たものの、カンボジア人と話したことも交流したこともなく、カンボジアの踊りも見たことがない、買い物だけ言われるがままして帰るというそつのない旅行をしています。一方、欧米などからの観光客は、現地で自転車やバイクを借りるなどして、アンコールワット周辺に遠出をして、その〝空気〟も楽しもうとします。

日本人におなじみの「パック旅行」は、中身はどれも同じです。安く泊まって、寝て食べるだけになります。それではカンボジアを本当に理解したことにはなりません。

そこで、カンボジア側でも〝観光資源〟をつくろうということで取り組んだ一例が、「ボッカタオ」という格闘技を見せる機会をつくることです。そうして、周辺の村で交流できる場所をつくり、その村を訪問して、どんな工芸品をつくっているか、どんな人たちが生活をしているかも体験してもらうのです。そのように、カンボジアの文化に触れる体験の場を充実させていきたいと考えています。

やはり、カンボジアの村も米だけを作っていると貧乏です。カンボジアは精米技術が遅れているため、そのままタイに買い取られてしまうのです。そして「タイ米」として売られています。それよりも、有機農業を行って、国際ホテルにその野菜を入れるようにした方が、世界からの観光客にとってもありがたいわけです。

さらに、可能性を感じているものとしては、カンボジアの「温泉開発」もその一つです。カンボジアの観光大臣が玉名にお越しになったときに、熊本の温泉も見せました。大臣から書記官まで実際に温泉に入りました。カンボジアも仏教ですから日本と文化が合うようです。温泉に入って初めてその良さがわかったようです。そうして、カンボジアで見つかった温泉の成分を調べてみると、山鹿の湯に近いものでした。しかしその後、すでに中国の企業に利権を譲渡していることがわかったので、棚上げになりましたが、再び、カンボジアの商業大臣から温泉開発の依頼が来ています。

――日本がカンボジアを含むアジアとの交流を深める上での鍵は何でしょうか? 

やはり、日本の外交もそうですが、カンボジアやアジアと関わっていく上では、まずしっかりとその国を見て分析することが大切です。次に、「自分たちにできる部分」がどこなのかを見極めること。その上で、それをしっかりと組み立てることです。最後は、実行後にしっかり分析し、次の〝肥やし〟にすることです。ボランティア活動も、一回で終わっている自己満足型が多いです。そうではなく、実体験を生かして次につなげることが大事です。

――最後に、未来を担う若者や大学生にメッセージをお願いします。

私自身は、熊本とカンボジアが歴史的に交易していたという「事実」を学校教育の中に生かしていきたいと思います。そのため今は、小学校などにも行き、カンボジアの話をしながら、「気づきの教育」として取り入れてもらうことに力を入れています。

もともと、私はNTTの営業部にいました。実はそうした経験も今に生かされています。営業部の仕事は、いろんな会社を分析して、会社と会社をつなぐことです。まずは信用してもらい、その上で仕事をもらえば、お互いに伸びます。ですから、これからの時代は相手を利用するのではなく、一緒に成長する「パートナー」になっていくことが大事だと思います。

――どうもありがとうございました。



シャムリアップにある日本カンボジア友好センタ-で、今年から長期滞在者向け「わたしだけのカンボジア隠れ家」を開始

 【財(たから)なキーワード】
「これからの時代は、相手を(一方的に)利用するのではなく、一緒に成長する『パートナー』になっていくことが大事だと思います。」

プロフィール
【たにがわ・まさとし1951年生まれ。熊本市出身。70年、電電公社(現NTT入社)。「熊本国際化センター」理事長として、カンボジアとの間で観光、文化、歴史解明などを通じた相互交流で成果を上げたことが評価され、2007年、西日本国際財団による「アジア貢献賞」を受賞。カンボジア王国政府観光省顧問なども務める。12年、一般社団法人「輝け日本の会」に組織変更。