江戸中期の“3名君”の1人 熊本藩主・細川重賢

“『人』を信じ、用い、つくる”

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改革に至る背景
歴史的に語り継がれる細川重賢の業績を見ていくためには、まずは重賢による『宝暦の改革』に至るまでの、熊本藩の状況について見ていく必要がある。 続きを読む

柔道を「国際化」した教育者 嘉納治五郎

“日本人の誇りを世界へ”

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今年8月に開催された「ソチオリンピック」を終え、4年後の2020年には、1964年以降、2回目の開催となる「東京オリンピック」も開催される。今回は、第五高等学校の第3代校長として基盤を築いた一方で、柔道を世界的なスポーツにした“柔道の父”であり、同時に、東洋人初のIOC委員として、幻の大会となった1940年の東京オリンピック誘致にも尽力した「嘉納治五郎」を取り上げる。

熊本との深い関わり
第五高等学校の第3代校長を務め、ラフカディオ・ハーンら教師からも慕われた「嘉納治五郎」(=敬称略、以下、「治五郎」)。熊本大にも熊本にも大きな足跡を残した治五郎は、その死後、あらためてその功績が評価され、1999年(平成11年)には「熊本県近代文化功労者」として顕彰を受けている。 続きを読む